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The Japan Society of Archives Institutions Kinki District Branch Bulletin
全史料協近畿部会会報デジタル版
No.75
2021.10.15 ONLINE ISSN 2433-3204

第158回例会報告

 

2021年(令和3)9月11日(土)
 オンライン開催

テーマ:”もうひとつの地域資料”経典・聖教を活かす        −寺院史料の調査・保全の意義と可能性−

吉川 真理子(全史料協近畿部会副会長事務局)

 本例会は、経典・聖教(仏書や仏教関係の文書)の地域資料としての意義と、調査に際しての課題・問題意識の共有を目的として開催された。
 経典・聖教は、今や仏教史の特殊な史料ではなく、歴史研究、地域史研究を進めるうえで有効かつ不可欠の史料と認識されつつある。しかしなお一部の専門研究者を除けば全体として経典・聖教類の歴史資料の意義が共有されているとはいいがたく、各地域レベルでの調査が十分に進められていない状況にあるのが現状である。
 本例会では、まず歴史研究の立場から横内裕人氏の聖教類を含む寺院史料調査の意義と課題についての総括的な講演があった。横内氏は、東大寺図書館の史料を例に寺院史料の多様性について述べたあと、聖教からは寺院史や社会史、事件、宗教政策などさまざまな情報が引き出せること、研究の余地が大いにあることを語った。そして一定期間継続して宗教活動を行う組織体が生み出した総合史料と考えると、これらの史料は地域史研究で活かすことができることを指摘した。
 つづいて坂本亮太氏から和歌山県における調査の事例報告があった。坂本氏は、紀美野町(旧神野・真国荘、野上荘)の事例からさまざまな史料を紹介し、聖教の史料的価値に言及した。また、県外の事例として、失われた寺院の景観復元への聖教の活用例を紹介し、聖教に関する各機関の取り組みと成果は、相互の地域史研究に寄与するため、公開および共有することが重要だと指摘した。
 最後に、三宅徹誠氏から各地域での『大般若経』などの経典や聖教類の調査の事例報告があった。『大般若教』の識語(書写奥書や寄進銘)の調査からは、それぞれの寺院と地域の関わりが見え隠れすることを指摘した。また『大般若経』の調査と資料化を蓄積していくことによって、歴史学の立場からの地域史研究への活用が大いに期待できることを述べた。
 講演および報告のあとには討論があり、活発な意見交換がなされた。全寺院での悉皆調査など他の自治体における聖教調査の先進的な取り組みの事例についての質問があり、当日参加の上川通夫さんによる愛知県、三重県亀山市、福井県越前市の事例についての共有がおこなわれた。ここでは、悉皆調査の現状や労力、人員の問題などについて意見が交わされた。
 例会参加者は44名だった。


ディスカッションの様子

参加記

全史料協近畿部会第158回例会を拝聴して

柴田容子(京都府立京都学・歴彩館)

 近畿部会例会に20数年ぶりに参加させて頂きました。
 恥ずかしながら、「聖教」ということばについて、知識を持ち合わせず、今回初めて「しょうぎょう」と読むことを教えて頂きました。
 歴彩館勤務とはいえ、現在、図書部門で働いておりますので、門外漢ではありますが、これまで全く知らなかったことがらを拝聴させて頂き、感謝いたします。
 最初に御講演された、京都府立大学文学部の横内裕人教授が、「聖教」について上川通夫氏の論文から「寺院社会内で教義・行法に関して記録した書面で、僧尼の修学や宗教活動の実践に際して活用され、かつ師弟間における原本授受または書写伝授によって法脈継承を根拠づける文献」という定義を取り上げて、解説下さいました。続いて、和歌山県立博物館の坂本亮太学芸員が和歌山県内寺院に残る大般若経等を現場に足を運んで調査された御報告や、元興寺文化財研究所の三宅徹誠研究員が各地に残る近世版本である黄檗版『大般若経』の墨書を調査された報告をお聞きし、「聖教」には広く経典も含まれるものと理解しました。
 御講演、御報告の先生方や、参加者からの発言をお聞きして、従来の文書調査では対象とならないことが多かった「聖教」を、寺院の文書や記録と共に調査研究の対象とすることで、宗教行事や宗教史に加え、地域の歴史を知る手掛かりとなることがわかりました。
 横内教授の御講演で、東大寺のお水取り行事について、文書を確認しながら、永く続いてきた行事を一年一年重ねていく様子が印象に残りました。坂本学芸員の御報告では、寺院で現在も使用している大般若経の方が開くことができるなど残存状態が良いこと、京都高山寺を再興した明恵が和歌山県の出身で、高山寺に残る聖教等の写しに書かれた奥書等から、現存しない和歌山の寺院等を知る手掛かりが得られるということに感銘を受けました。三宅研究員のお話しからは、黄檗版『大般若経』の1点1点に書かれた寄進者の情報で、寺院と関わりのある寄進者がどの範囲に及ぶのかわかるとお聞きしました。元々寺院とその地域の方々が大事にされてきた経典だからこそ、手に入りやすい大般若経が出版された折、皆で新しく購入しましょう、という気持ちになったのでしょうか。
 一般に、文書館が対象とする史料について、初歩的に学ぶ際に、文書のライフサイクルについて学びます。簡単な理解ではありますが、文書館が対象とする史料というのは、生まれた当初の役割を終え、地域の文化や活動、歴史を知ることができる別の命を得たもの、と捉えていました。
 「聖教」については、いずれの御講演、御報告からも、寺院で大切にされてきたものであり、生まれた当初の役割を失わず、大切にされてきた永い時を経て、新しい付加価値を得ながら、成長し続けているものと理解しました。例会参加者が調査の御経験をお話しされた中で、社寺との信頼関係で見せて頂くことができた、調査者の一人がその神社の息子さんだったので見せて頂くことができた、といった御発言があったと記憶しています。「聖教」が、現在も生まれたときの価値を持ち続け、大切にされているものだからかと思いました。
 今回、年間を通じて歴彩館の資料を使った授業を展開して下さっている横内教授のお名前を拝見して、例会に参加させて頂きました。20年を経て参加することができたのは、自宅からも参加できるオンライン例会というハードルの低さがひとつの理由です。例会の内容は、以前と同様、熱く、充実しており、これまで会を重ねてこられた皆様に深い敬意を表します。以前の参加記で、オンライン例会だったので、遠方からの参加もかなった、というお話しがありました。コロナの時代をプラスに、ますますの盛会をお祈りいたします。

参加記

全史料協近畿部会第158回例会に参加して

吉竹智加(立命館大学大学院研修生)

 2021年9月11日、全史料協近畿部会第158回例会が、オンラインにて開催された。私は本会の参加が初めてで、こうした状況下、リモート参加できるという点で気負わず参加できたのはある意味僥倖であった。
 本例会のテーマは、「“もうひとつの地域資料”経典・聖教を活かす−寺院史料の調査・保全の意義と可能性−」。
 私自身の周りには、寺院史料を対象として研究されている方が多かったため、今まで歴史学の立場や抱える課題などを意識してこなかった。つまみ食いのように寺院史料を研究素材として扱っていた自覚があり、耳が痛いと感じることも多かったが、三つの報告とも、興味深く拝聴させていただいた。

1.横内裕人氏「寺院史料の可能性―史料の分類と課題の共有―」
 まず現在の寺院史料の利用状況の課題として、学問分野ごとに史料の利用範囲が限られている現状が示され、とくに歴史学は古文書や記録類に考察対象を限定してしまっているという問題と、聖教や典籍、外典類も、文字資料であるにもかかわらず、重要視されていないことが指摘された。
 これに関係して、文化財として指定された聖教を概観すると、50〜60年代に指定されたものは祖師の叙述。70〜90年代ではそれらを含む聖教が受け継がれてきた門流・院家単位の聖教類。00年代以降には、『醍醐寺文書聖教』約七万点の指定に代表されるように、寺家単位として一括されるようになっていくと整理された。
 これはそのまま、聖教自体の位置づけの変化ともいえ、祖師の個人史料としての価値から、継承の過程も重要視されたことで門流・院家単位の枠組みに広がり、さらに悉皆調査の進歩と軌を一にするかたちで、寺家ごとの史料を聖教も含め一括して把握されていくと述べられた。
 個人的にも、この点に関しては、祖師の行跡などが重視されてきた戦前の研究から、近年ではたとえば荘園管理や組織構造、経済基盤など、寺家総体を把握しようとする傾向にシフトしていくように、寺院史の研究史の変化と連動していて、とても興味深く拝聴させていただいた。
 また、聖教自体の存在背景から、教学、寺院史、社会史などの状況を読み取ることができる、というご指摘は、すべての文字史料以外の伝来資料においても当てはめることができると感じた。かつ、歴史学の立場からは、物質としての資料の背景に想像を巡らせる努力を怠ってきたことを改めて実感した。
 総括として、寺院史料について、「寺院」の悉皆調査がなされる際、聖教や古文書、和本などすべてが調査の対象とされるべきということ。そして、宗教活動を行う組織による総合史料としてとらえることで、その寺院が在する地域史研究にも活かすことができる、という展望も示された。

2.坂本亮太氏「聖教・典籍が開く地域史 ―紀州中世史の場合―」
 地域史料のなかの一つとしての聖教、地域史の調査・研究の現場での聖教との向き合い方について報告された。
 ご自身のフィールドである紀州、とくに紀美野町をとりあげられ、そこに残る聖教からみた地域史という視点で述べられた。ここでは旧荘園・「村」にひとつは大般若経が残ること。様々な時代に、様々なところで書写された経典が集積されているが、とくに和泉地域のものが多く、それは根来寺の僧侶が集めたものが、紀州で売られたためであること。そのあと、廃仏毀釈の際にも、聖教が移動しているばあいもある。と説明された。
 また、潮御崎神社に残る大般若経は大正時代に補修、寄付されたが、その大般若経に記されている奥書には、大正二年に潮御崎に置かれた測候所の人たちも記入しているという事例が紹介された。地域史としても興味深い事例であり、かつ、その奥書には転勤に対する文句が書かれていたというのも面白く聞かせていただいた。
 地域における大般若経は、村や地域の宝として入手・補修され受け継がれてきたこと。また、その収集・継承の過程について、経典の奥書などで分かる事実が、地域史にも還元できると指摘された。
 聖教は、荘園等の政治的枠組みにとらわれない、地域振興圏、地域社会を明らかにし、かつ、伝授・書写や修復などの履歴から、地域的な復元にとどまらず、時間的な面でも見通すことができるものである。と示された。また、最後には、聖教からは隣接する地域の様相も分かるという点で、各自治体の成果を共有する必要があるという重要な指摘もなされた。

3.三宅徹誠氏「聖教調査事例報告 ―近世版本『大般若波羅蜜多経』を中心に―」
 ご自身の調査経験をもとに、近世の版本黄檗版『大般若波羅蜜多経』(以下『大般若経』)に記された墨書の事例についてご紹介いただいた。
 『大般若経』の墨書からは、寄進者名の記載などより、寺院と寄進者の関係を読み解けるほか、氏子圏の想定が可能とされ、以下の三つの『大般若経』について、墨書からわかることを中心に説明をいただいた。
? 十輪院(奈良県奈良市、真言宗醍醐派)の『大般若経』は、墨書をみると、十輪院近
  辺の檀家の寄進によって調えられたことがわかる。また、経櫃の墨書からは寛政9年
  (1797)施入と判明するが、『大般若経』墨書に記される、寄進者が供養の対象と
  する人物の命日が施入以降の文化元年(1804)、嘉永2年(1849)のものもあり、
  供養のための『大般若経』寄進は継続されていたと思われる。
? 来迎寺(大阪府松原市、融通念仏宗)には、寛政8年(1796)に施入された『大般 
  若経』、また天保14年に施入された『観音経』が存在。
   『大般若経』は、来迎寺末寺が所在する郡からの寄進が殆ど。また、巻578「般若 
  理趣分」は現世利益に効果があるとされ、この巻の紙背には28行にわたり願文・寄
  進巻数・寄進者名が記されていた。
   『観音経』は、1863点にのぼり、寄進者の分布も『大般若経』より、さらに広域
  域の範囲に広がる。
? 神恵院・観音寺(香川県観音寺市、真言宗大覚寺派)
   『大般若経』は、氏子と相談して宝永2年(1705)に新調され、翌年に施入。寄 
  進者の分布は観音寺周辺の村が中心であり、神恵院が権限を氏子圏が重なる可能性
  も。
 『大般若経』は、地域と寺院との関わりがわかる史料であり、各地域の史料と相対化して分析することで、さらに地域史の進展に寄与することができると指摘された。

 質疑応答では、大般若経を中心とした寺院の史料調査について、自治体による実際の具体的な調査事例についての経験から、現在の課題や認識などが共有された。また、寺院史料は膨大な量が残されているけれども、数の上では古文書よりは聖教類が圧倒的に多い。これを地域の寺院に集積された文字史料としてとらえるとき、地域社会が必要としていた側面を意識することも重要であるという意見も出された。これからの史料調査の方法についても、具体的な議論が活発に交わされた。